【2025年のシェフより】
こんにちは、伊與田です。長きにわたってお届けしてきた修行日記も、今回がいよいよ最終回。ドイツ・ミュンヘンを後にし、次はスイス・チューリッヒへ。相変わらずの無計画さで飛び込んだ先で待っていたのは、まさかの「忍者疑惑」と、帰国直前の大ピンチでした。そして日本に帰ってからの「ティラミス」普及への挑戦(失敗?)まで、最後までお付き合いください。
宿も決めずにスイスへ突撃
ドイツでの修行を終え、次はスイス・チューリッヒの老舗「コンフィズリー・ホノルド(Confiserie Honold)」を目指しました。しかし、そこは私のこと。宿泊先も決めず、誰にも頼らず、手紙一枚で「何とかなるやろ」と飛び込みました。到着した日の夜。日が暮れても寝る場所がない。とりあえず入ったレストランで食事をしていると、ボーイが寄ってきました。「日本人?」「はい、日本人です」「忍者?」……アホか! どう見ても忍者に見えるわけないやん。絶句しながらも、なぜか忍者の説明をする羽目に。するとボーイが「ここの料理長は日本人だよ」と教えてくれました。現れたのは、正真正銘の日本人シェフ!事情を話すと、「自分のアパートの部屋が空いてるから使っていいよ」と神の声。ボーイが忍者に興味津々だったのは、このシェフの影響だったようです。忍者ネタのおかげで、寝る場所を確保できました(笑)。
スイスでの研鑽と、国際色豊かな友情
スイスでは主にショコラや飴細工を学びました。同僚のアラン(フランス人)の勧めで、有名な「エバハルト・ノッター」先生の塾にも通い、技術を磨きました。アラン、そしてアルゼンチン人のフィリップとは本当によく遊びました。フィリップが帰国する際、「Hiroも一緒にアルゼンチンに来い!」と泣きながら誘われましたが、「君はアルゼンチン、僕はナイゼンチン(無いぜんちん)」という渾身の関西弁ギャグでかわしました(通じたかは不明)。
帰国直前!空港での絶体絶命
楽しい日々も過ぎ、いよいよ日本へ帰国の日。チューリッヒ空港のカウンターで荷物を預けると、係員が紙を一枚差し出してきました。JALのカウンターへ行き翻訳してもらうと、無情な一言。「罰金ですね。5000スイスフラン(数十万円)」荷物のウエイトオーバーです。当時の私は道具を買いすぎて、手持ちは1200フランしかありません。「一生ここで暮らすのか……」と絶望しましたが、JALの方のアドバイスで、日本にいる妻へ国際電話。「プルルル……お金が足らんねん!」「はぁ?」「今すぐJALに振り込んで来て~~~!」飛行機が整備で4時間遅れるという幸運(?)もあり、ギリギリで入金確認が取れ、なんとか搭乗できました。この時、私は学びました。「諦めなければ、最後は来ない」粘ればなんとかなるものです。
帰国後日談:幻の「テラミソ」
無事に帰国し、日本で働き始めた頃。ヨーロッパで衝撃を受けたスイーツ「ティラミス」を日本に広めようと、会社に手紙を書きました。「『テラミソ』という物凄く美味しいケーキがあります!」(発音がテラミソに聞こえたのでそのまま書きました)会社からの返答は、「なにそれ? お寺で味噌作ってんの?」……バカにされました。その後、マスカルポーネチーズが入手できず代用品で作りましたが全く売れず。数年後、ティラミスが大ブームになった時は「やっぱり俺は間違ってなかった!」と確信しましたが、あの時「テラミソ」と言わなければ、もっと早く流行っていたかもしれません(笑)。
【あとがき:パティシエ修行日記・完】
全5回にわたる修行日記、お楽しみいただけましたでしょうか?15歳で大阪へ行き、ドイツ、スイスと渡り歩いた日々。無茶苦茶で、失敗ばかりでしたが、その全てが今の私の血肉となり、ソルシエのお菓子作りを支えています。「魔法洋菓子店ソルシエ」のお菓子には、こんな職人のドタバタと、情熱と、ちょっとした魔法が詰まっています。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。▼ 職人の集大成。世界で学んだ技術をあなたへドイツ直伝のシュトーレン、スイス仕込みの焼き菓子、そしてこだわり抜いたケーキたち。[ソルシエの商品一覧を見る(トップページへ)]


