【パティシエ修行日記 Vol.3】搬入前夜の悪夢!コンクール作品落下事件と、師匠の教え。

【2025年のシェフより】

こんにちは、伊與田です。寮生活でのサバイバルを経て、いよいよ仕事の話……かと思いきや、今回もやっぱり失敗談です(笑)。でも、この失敗は私のパティシエ人生で最も大きな教訓となった出来事の一つです。「準備8割、本番2割」。プロとして大切なことを、身をもって(痛いほど)学んだコンクールのエピソードをお届けします。


きっかけは、深夜の厨房で

まだ17歳の小僧だった頃。いつものように深夜まで仕事をしていると、先輩から声がかかりました。「おい、イヨ。お前コンクール興味あるか?」「もっ、勿論ですよ! めっちゃありますよ!」調子に乗って即答した私に、先輩はニヤリ。「そうか! ほな、お前に作り方教えたるわ……というわけで、ワシの手伝いせ~や」完全にハメられた形でしたが、そこから2ヶ月間、仕事後の深夜から朝方まで「缶詰」状態での制作補助が始まりました。睡眠不足は当たり前。でも、パーツ一つ一つが組み上がり、美しい作品になっていく過程は楽しくて仕方ありませんでした。2ヶ月半後、仕上がりかけた作品を見ると、なぜか2つある。「イヨ、この1つはお前が手伝ったから、お前の名前で出品したるわ」先輩の粋な計らいで、私の名前が初めてコンクールに出ることになりました。結果は、先輩の名前の作品は上位入賞、私の名前の作品は選外。それでも、この時の経験が「コンクール入賞の常連」となる第一歩でした。

自信作、完成!そして……

18~19歳になる頃、神戸でのコンクールに今度はデザインから全て一人で挑戦しました。毎日デザインのことばかり考え、体重は激減(ダイエットにおすすめです)。花弁一枚一枚を極薄に伸ばし、エアーブラシで着色し、雄しべ雌しべを糸のように細く作る……。花一輪に3~4日かける繊細な作業の連続でした。完成間近、先輩たちからも大絶賛。「お前センスあるの~」「これ上位入賞できるかもしれんぞ」有頂天になった私は、表彰台に上がる自分を妄想してニヤニヤしていました。搬入前日の深夜。満足いく仕上がりに惚れ惚れしながら、最後の仕上げをしていました。箱に入れようとしたその時。「あれ、なんか下が引っかかってるわ」「よっっっ」ズズッ……ズッ。嫌な音がした瞬間、悪夢が起こりました。バシャ!ッ……ガタン…………。メインの飾りがフレームから外れ、床へ落下。深夜の静かな厨房に、私の絶叫が響き渡りました。「夢であってくれ……」

地獄からの復活、そして教訓

搬入まであと4時間。諦めるどころか、悔しくて悔しくて、落ちたパーツを拾い集めて必死で組み直しました。外は白々と明るくなり、チュンチュンの雀の声。「雀の手も借りたい」と思いながら、自己暗示をかけて修復。なんとか出品には間に合いましたが、もちろん完全な状態ではありません。出勤してきた先輩たちからは、「お前……あほか」「どないしたらここまで壊せんねん」と呆れられました。結果は、上位入賞は逃したものの、努力の甲斐あって7位入賞。関西地区からのエントリーとしては健闘した方ですが、あの褒め殺しの後の転落は精神的に堪えました。この日、私は心に誓いました。「作品は、前日には弄らない」ギリギリまで触りたくなる気持ちを抑え、余裕を持って準備を終えること。これは今のお菓子作り、そして経営においても私の鉄則となっています。

主なコンクール受賞歴

毎回壊していたわけではありませんよ(笑)。その後は学習し、数々の賞をいただきました。

  • 西日本洋菓子コンテスト 工芸の部:2位
  • 西日本洋菓子コンテスト デコレーションの部B:1位
  • 全国洋菓子技術者コンテスト 第2回大会:6位
  • 全国洋菓子技術者コンテスト 第3回大会:5位
  • 四国ブロックコンテスト:上位多数

今はコンテストからは引退し、若手の指導にあたっていますが、あの時のヒリヒリするような緊張感と達成感は、職人としての血肉になっています。(続く)


【編集後記:2025年の現在地】

師匠である人見至容先輩は、残念ながら42歳の若さで他界されましたが、彼から教わった技術と心構えは私の「無形の財産」です。次回はいよいよ日本を飛び出し、未知の世界へ!「初めての海外旅行がいきなりドイツ修行!?」編をお届けします。お楽しみに。

▼ 繊細な技術が生む、芸術的なお菓子コンクールで磨いた細工の技術は、今のデコレーションケーキや焼き菓子の美しさに活きています。

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